緑と虹のあるところのコンセプトを考える
とても合う文章があった。
権力 対 市民、自動小銃 対 小さな花。
一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。
人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。
花を踏みにじる権力は、愛することの可能性そのものを破壊するのである。
そうして維持された富と力、法と秩序は、わたしたちに何をもたらすのだろうか。
緑と虹のあるところのコンセプトにあう言葉を探していたら、出会った文章があったのでご紹介したい。
みなさんは加藤周一という人を知っているだろうか?
「 いくらかの破壊的快楽と多くの虚栄、いくらかの権力欲の満足と多くの不安、感情的不安定と感情的刺戟の不断の追求と決してみたされない心のなかの空洞にすぎないだろう。いかなる知的操作も、合理的計算も、一度失なわれた愛する能力を、恢復することはできない。」
わたしイノグチタカハルは、この「緑と虹のあるところ」と名付けたフィールドを作ることになったわたしの心の中には、わたしの心は常に弱者とともにあるのです。
それはぬぐってもぬぐっても、わたしの心から拭いきれない。
蓋をしても蓋をしても、その蓋をいつもキツくねじ込むのだか、暖かくなった油が滲み出てくるように、流れ出てくるように、わたしの心から滲み出るのだ。
わたしは良い人間ではない。みなさんと同じいたって普通の人間だと思っている。取り立てて優しい人間ではない。むしろ優しい人間ではないかもしれない。短気でもある。
しかし、なぜかその反骨精神とでもいうべき、体制に迎合しない、その気持ちはわたしの心の奥底から滲み出てくるのだ。
その染み出てきたものは、わたしの人生を狂わせてきた。いまも狂わせている。この世の中少しづつ狂った人間でできているのだからそれも良いのかもしれない。
そんなときに、うえにご紹介したこの言葉に出会った。
「小さな花」
2500年前にまさしくブッダが説いた無我の境地
何人も心まで蹂躙することはできないと歌ったボブマレー、レデプションソングやワンラブ
加藤氏がうたう「一度失われた愛する能力は取り戻せない。」とはどいうことか。
人間は創造できるものしか作り出せない。
わたしたちは、少数側にいることを誇りに大切にしよう。
そのようなフィールドを作り上げたいのです。
この文章の中で出てくるピーターフォークとは、あのコロンボ刑事などで有名な俳優だ。
小さな花
どんな花が世界中で一番美しいだろうか。
春の洛陽に咲き誇る牡丹に非ず、宗匠が茶室に飾る一輪に非ず、ティロルの山の斜面を蔽う秋草に非ず、オードゥ・プロヴァンの野に匂うスラヴァントに非ず。
1960年代の後半に、アメリカのヴィエトナム征伐に抗議してワシントンへ集まった「ヒッピーズ」が、武装した兵隊の一列と対峙して、地面に座りこんだとき、その中の一人の若い女が、片手を伸ばし、眼のまえの無表情な兵士に向かって差しだした一輪の小さな花ほど美しい花は、地上のどこにもなかったろう。
その花は、サン・テックスSait-Exの星の王子が愛した薔薇である。また聖書にソロモンの栄華の極みにも比較したという野の百合である。
一方には史上空前の武力があり、他方には無力な一人の女があった。一方にはアメリカ帝国の組織と合理的な計算があり、他方には無名の個人とその感情の自発性があった。
権力対市民、自動小銃 対 小さな花。一方が他方を踏みにじるほど容易なことはない。
しかし人は小さな花を愛することはできるが、帝国を愛することはできない。花を踏みにじる権力は、愛することの可能性そのものを破壊するのである。そうして維持された富と力、法と秩序は、個人に何をもたらすのだろうか。
いくらかの破壊的快楽と多くの虚栄、いくらかの権力欲の満足と多くの不安、感情的不安定と感情的刺戟の不断の追求と決してみたされない心のなかの空洞にすぎないだろう。いかなる知的操作も、合理的計算も、一度失なわれた愛する能力を、恢復することはできない。
権力の側に立つか、小さな花の側に立つか、この世の中には選ばなければならない時がある。たしかに花の命は短いが、地上のいかなる帝国もまた、いつかは滅びる。天狼星の高みから人間の歴史の流れを見渡せば、野の百合の命も。ソロモンの王国の運命も、同じように現れては消えてゆく泡沫だろう。
伝えられるところによれば、アメリカの俳優ピーター・フォオーク氏Peter Falkは、日本国の天皇から招待されたときに、その晩には先約があるといって、断ったそうである。私は先約の相手に、友人か恋人か、一人のアメリカ市民を創造する。もしもその想像が正ければ、彼は一国の権力の象徴よりも、彼の小さな花を選んだのである。
私は私の選択が、強大な権力の側にではなく、小さな花の側にあることを、望む。望みは常に実現されるとは、かぎらぬだろうが、武装し、威嚇し、瞞着し、買収し、みずからを合理化するのに巧みな権力に対して、ただ人間の愛する能力を証言するためにのみ差しだされた無名の花の命を、私は常に、かぎりなく美しいと感じるのである。
(出典『小さな花』2001年 かもがわ出版)
この文章の筆者の肩書きなど必要ないのだが、少しだけご紹介します。評論家、加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)
医学博士(専門は内科学、血液学)。上智大学教授。哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。
滲み出てくる
この想い 大切にしよう。
緑と虹のあるところ Places of Green and Rainbows
緑と虹のあるところ Places of Green and Rainbows オフィシャルサイト
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